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与党に逆風が吹く中、野党王国の新潟の知事選で、なぜ野党共闘候補が敗れたのか?野党が支持した池田千賀子氏に独占インタビュー

6月10日に投開票された新潟県知事選は、事実上、与野党候補の一騎打ちとなり、支持率が低迷する安倍政権に打撃を与えようと、野党の大物幹部がたくさん応援に入ったが、野党統一候補として出馬した池田千賀子氏は惜敗した。原発がある新潟県柏崎市で生まれ育ち、市職員や市議としての現場経験があった池田氏は、与党が支持した官僚出身の花角英世氏との差別化を図るため、「新潟のことは新潟で決める」をキャッチフレーズに選挙戦を展開した。与党が圧勝した昨年の衆院選だが、新潟では野党候補が6選挙区中4つで勝利した。安倍政権が逆風にさらされる中、野党王国の新潟で、池田氏が競り負けたのはなぜか。6月19日、池田氏が取材に応じ、知事選の舞台裏を明かした。

 

――4月18日に前知事が辞任を表明し、池田さんが立候補表明したのは5月8日でした。この間、池田さんが立候補を決意するに至った経緯を詳しく教えてください。

まさか私が出るなんて思っていませんでしたから、5月1日までは(野党の)候補が決まるのを待っていました。誰になろうとも、その人を応援しようという気持ちでした。そしたら、5月2日に菊田真紀子さん(新潟4区衆議院議員無所属の会)から話をしたいと言われ、2人で会いました。そこで、知事選に出てもらいたいと言われました。その時は菊田さんが出馬するという話もあったので、「何で私?」という感じでした。その日に結論など出ませんでした。それで5月6日、菊田さんから続きの話をしたいから、東京に来てほしいと言われ、上京しました。出馬を断るつもりで行ったのですが、お断りできないような状況にどんどんなっていきました。承諾しなければ最終の新幹線で新潟に帰れなくなるのではないかと思えるほどのラブコールを頂き、出馬することにしました。私が尊敬している人からは花角さんで一本化してもいいのではないかと言われたこともあったので、それを菊田さんに話したら、「相乗りなんか絶対だめ。いい人ほど官邸の言いなりになる」と言われました。

――5月6日、東京でお会いしたのは菊田さんだけですか?

うーーん、、。まあ、菊田さんだけということにしておきましょう。

――なぜ、池田さんに出てほしいのか、理由は言われましたか?

言っていたのかもしれないけど、、。私は、なぜ菊田さんが出馬するのはダメなのかとは思いました。ただ、菊田さんは昨年、衆院選で勝ったばかりで、今回、知事選に出れば、菊田さんの選挙区で補選をやることになります。それを考えたら、私の方が負けた時の傷が軽いとは思いました。そういう中で、しぶしぶ承諾したというのが実情です。もともと、新潟県政を動かしたいという野望なんてありませんでした。市議になる時も、県議になる時も周りから頼まれて、仕方なく出ました。

――池田さんが一番やりたいことは何ですか?

市議や市職員ですね。泣いたり笑ったり、ダイレクトに市民と関われますから。

――5月6日に引き受けて、二日後に会見だったわけですが、その間、政策のすり合わせはありましたか?

ありませんでした。会見までは絶対、誰にも口外しないということで菊田さんからお願いされていました。私は夫以外には話しませんでした。だから、こういう政策なら乗れるかみたいな話は一切誰ともしませんでした。

――政策の話なしに立候補することだけを決めるということに違和感はありませんでしたか?

それはありませんでしたね。事前に相談でもしたら、絶対、この話はなくなっていたと思いますよ。会見の直前に、菊田さんから事前に言っておかないといけないという人には伝えたようです。私が出馬することを知った人たちは、「勝てるわけない」「聞いてない」「こちらも候補者選定していたのに」などとマイナスな反応ばかりで、「よく見つけてくれた!」という称賛の声はほとんどなかったらしいです。

――会見前に誰にも話さなかったのは、話したら反対する人がいるからですか?

そうです。相談していたら、絶対、この話はなくなっていたと思います。突然、会見を開いて、「これに乗らないと、あなたも明日がないよね」っていう感じにするしかなかったと思います。

――野党共闘の難しさが伝わってきますね。

そうですね。

――敗因については、どう考えていらっしゃいますか?

いっぱい思っていることはありますけど、やってもらっている人たちがいるので、その人たちの気持ちを考えると、なかなか言えないですね。

――選挙期間中、池田さんは、市議をしながら、ケアマネジャーの資格を取ったとか、通信制の大学で勉強したことなどを強調されていましたが、それがどう市民の生活に還元されたのですか?

そう聞かれると難しいですけどね。制度を理解するために資格を取ったわけだから、それが市民生活とどう結びついたかと聞かれると難しいですね。

――市職員や市議時代にご自分のイニシアティブで何かやって、市民の生活が変わったということはありました?

歯科衛生士として柏崎市役所に採用されたのは私が初めてでした。新潟県はフッ素を利用した虫歯予防を推進し、虫歯がとても少ない県なのです。でも、柏崎市では、フッ素に対する反対運動があって、フッ素に頼らない虫歯予防活動を展開する必要がありました。子どもの虫歯を防ぐには、生活習慣から改善しなければなりません。親にゆとりがないと、子どもにテレビを見せながら、甘いお菓子をあげたりしてしまい、虫歯につながっていきます。だから、保健士さんや保育士さんと連携し、啓発活動をしました。6月に歯の衛生週間があるのですが、それに合わせて「歯の健康展」というのを開催したりしました。もう何十年も前ですが、今でもそのイベントは続いています。教室やイベントに来る子育て中のお母さんたちと仲良くなって、「小さいころから池田さんに歯を診てもらったおかげで、家の子、虫歯がないのですよ」と言われたりしました。

――第一回歯の健康展ではなにをやったのですか?

予算もなかったので、イトーヨーカドーのスペースを直談判して貸してもらって、小学生に虫歯予防の絵を書いてもらって飾ったり、歯科の先生にお話しをしてもらったりしました。

 

――街頭演説では、原発問題について、原発と隣り合わせに暮らし、賛成派と反対派、両方の立場がわかる自分だからこそできることがある、とおっしゃっていました。池田さんの中で、脱原発後の社会のイメージは描けていたのですが?

私は専門家ではありませんから、細かいところまでイメージが描けていたわけではありません。柏崎の刈羽原発では今6000人が働いています。再生可能エネルギーに転換して、どれだけ雇用につなげることができるのかが大切なのだと思います。

今、柏崎の人たちの多くは、原発と共存していくのが怖いと思っているけど、原発がなくなったら地域がもっと疲弊してしまうのではないかと心配しています。知事になって、原発以外の他のモデルを模索して示したかった。これから何十年もずっと原発に頼っていけるのか?それ以外の道を探さなくてはいけないよというメッセージを送りたかった。


――投票日の1週間前の6月4日の新潟日報世論調査が出ました。「新知事に優先的に取り組んでほしい政策は何か?」の問いに、「原発」と答えた人はどれくらいだったか覚えておりますか?

一番ではなかったのじゃないですか?景気とかの方が高かったのではなかった?

――原発は一番高かったですが、全体の21パーセントです。8割の人が、原発以外のことに優先的に取り組んでほしいと思っているにも関わらず、池田さんは、この調査が出た後も、原発に演説の大半を費やしました。それはなぜですか?

街頭演説で行く先々で、「原発のことはお願いね」ってたくさん言われました。だから、現場の感覚では原発への関心は高いと思いました。

――「新潟のことは新潟で決める」と連呼しながら、県外から野党の幹部が大勢応援に入り、池田さんの後ろに応援弁士として立ちました。あれを見て、「本当に新潟のことは新潟で決められるの?」と言う人もいました。

私はそれを言う人は頭が悪いと思うのです。対立候補が新潟には長く住んでいない官僚出身で、政権の言いなりになるだろうという危惧から、私が新潟でずっとやってきたということをアピールするために言ったことです。それに野党の方たちが賛同してくれていただけのことです。

――ただ、時には応援弁士が多すぎて、街頭演説が1時間を超えることもありました。池田さんの話はその内の10分くらいです。弁士の方たちの話は安倍政権の批判がほとんどで、新潟の話がほとんど出てきませんでした。


私には、どういう経過で弁士が来たのかわかりません。私には、スケジュールが渡されるだけでした。それを見て、「この人には来てほしくない」とは言えませんよね。私も弁士が多いなと思ったことはありました。ただ、弁士が新潟以外のことを話して逃げていった票と、安倍政権にノーを突き付ける選挙と位置付けることで獲得した票、どちらが多いのかはわかりません。


――結果を見て、どちらが多いと思いましたか?

それはわかりません。

――仮にこの選挙で安倍政権が退陣したとしても、果たして、医療、景気、教育など、県が抱える課題は改善されるのでしょうか?世論調査では、5割以上の方が、医療、景気、教育について新知事に取り組んでほしいと言っているのに、池田さんの街頭演説の大半が安倍政権の終焉と脱原発に費やされてしまいました。

知り合いからも、弁士があまりに多いというアドバイスは頂きました。私が選対に言えば何とかしてくれたのかもしれませんが、私から何か言うことはしませんでした。

――なぜ言わなかったのですか?

選対も色々大変だろうと思いました。

――私も選挙に何度か関わらせてもらったことがありますが、選挙運動で一番大事なのは候補者の意向が意思決定プロセスにどれだけ反映されるかだと思っています。そして、今回の選挙、野党共闘で大物政治家がたくさん入り、池田さんの意思とは別の所ですべてが動いている印象を受けました。特に衝撃的だったのは、投票日前日の夜、新潟駅前での最後の訴えです。最後の訴えというのは、選挙戦の締めですから、とても大事なものだと思うのですが、池田さんに割り当てられた時間は、たったの1分30秒でした。なぜか、選対本部長の菊田さんの方が長く話していました。

午後8時に終わらせなければいけなかったので、たまたまだったと思います。

――池田さんの街頭演説の中身に関しては、打ち合わせとかはあったのでしょうか?

いえ。特にありませんでした。

――今後はどうされるのですか?

未定です。とりあえず、地元の方たちに挨拶周りをしながら考えようと思います。

 

編集後雑感


今回の選挙で、池田さんの強みは、新潟から一度も離れず、市職員や市議として現場の声を拾い続けてきたことだった。しかし、街頭演説では、安倍政権に対する批判と原発政策にほとんどの時間が費やされた。池田さんは自分のプロフィールをアピールしたが、市議や県議を務めたことやケアマネジャーの資格を取得したことを強調し、実際、池田さんの活動で現場にどう影響を及ぼしたかについては語られなかった。歯科衛生士として、薬に頼らない虫歯予防に力を入れ、「歯の健康展」をゼロから立ち上げ、子育て中のお母さんたちとの輪を広げていったことなど、現場での実績をアピールできていれば、結果は変わっていたかもしれない。